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ウリナラ半万年の歴史
韓国人はよく「わが国の歴史は半万年」つまり5000年だといいますよね。
中国で確認されている最初の王朝は殷王朝で、紀元前16世紀ころにようやく都市国家がつくられ、甲骨文字、青銅器が使われ始めたとされていますが,韓国では紀元前2333年1月1日にインドの神様「帝釈天」の子孫である「檀君」(人間になりたいと願う熊女の子)が国を建てたということが歴史的事実として教えられていますね。 韓国国定高等学校国史教科書には、「青銅器文化の発達とともに君長が支配する社会が出現した。これらのなかで強い勢力をもつ君長は周辺社会を統合し,しだいに権力を強化していった。最も早く国家に発展したのは古朝鮮だった。古朝鮮は檀君王倹が建国したとされる(紀元前2333)。檀君王倹とは当時の支配者の称号だった。古朝鮮は遼寧地方を中心に成長し,隣接した君長社会を統合しながら韓半島にまで発展した。このような事実は出土した琵琶形銅剣の分布から知ることができる。 古朝鮮の建国の事実を伝える檀君の話は,わが国の始祖神話として広く知られている。檀君神話は長い歳月を経て伝承され記録に残されたものである。後世に付け加えられたり削除された要素もあるが,これは時代により関心事が異なるためである。しかしこの記録は青銅器文化を背景にした古朝鮮の成立という歴史的事実を反映しているのである。」と書かれています。 わずか10センテンスのなかに「このような事実」「建国の事実」「歴史的事実」と、これでもか、これでもかと言わんばかりに「事実」という言葉が登場します。 それほど明白な事実ならば、こんなに強調しなくてもよさそうなものです。 そしてまた、もちろん、「王倹」というのは地名(平壌の旧名)であり、「当時の支配者の称号」などではありません。 なぜ、このように歪曲するのでしょうか? たぶん、檀君が「支配者の称号」でないなら、つまり個人の名前ならば、人間が2000年も生きたことになるので教育的に具合がわるかったのでしょう。「神話」だと教えれば何の問題もないのに、「歴史的事実」として教えなくてはならないから、つじつまを合わせたわけです。 しかし、嘘に嘘を重ねるから、かなり苦しい解釈をせざるを得ません。 ところが、東アジアの古代史に詳しい人なら、誰でも「王倹」が地名であることは知っています。中国の歴史書には頻繁に「王倹」「王倹城」という地名が出てきますから、韓国人以外なら誰でも王倹が地名であることを知っているのです。もちろん、欧米の東洋史学者もよく知っています。プロの目からみれば、韓国の歴史教育は「情熱をもって非常識と嘘を教える」ことになっています。 そして、普通に考えれば、帝釈天が登場するということは、朝鮮半島に仏教が伝わって以後の話だということは誰にでもわかるはずなのです。しかし、韓国人にはそうした理性はありません。 説話では、天帝桓因の子である桓雄が太白山の峯に降臨して熊から人間に化身した女との間に檀君をもうけたとされています。 仏教に詳しい人ならば常識ですが、このなかで天帝とされた「桓因」とは,元来はインドの神であった帝釈天の別称なのです。 そして、紀元前24世紀ころの中国はまだ石器時代で、文字(漢字のもとになる甲骨文字)さえなく、暦さえなかったというのに、韓国では、すでに琵琶型銅剣が用いられ、どのような文字が何に記されたのかは必ずしも明らかではありませんが,とにかくそういう記録があったというのです。 もし、これが本当ならば、人類最古の文字と言われたシュメール人の楔形文字よりもずっと古い文字ということになります。 一体、どんな文字で「記録された」というのでしょうか? 日本人からすると,とても信じられない話ですが,大抵の韓国人は檀君による建国を歴史的事実だと信じており,前2333年を元年とする「檀君紀元(檀紀)」が用いられます。 2006年現在での檀紀は4339年ということになり,あとたった661年で半万年だ,われわれの歴史は中国の歴史よりもずっと古いというのです。何ともスケールの大きい話です。スケールだけは。 ところで、紀元前2333年という、一見出鱈目な年代はどこから出たものなのでしょうか? これは元来,中国の古代伝説中の理想君主で五帝の一人である尭の即位50年を西暦にあてはめただけのものなのです。 もちろん、これを史実であると認めるのはきわめて難しいことです。中国人でさえ、尭が紀元前2383年に即位したなんて考えていません(当たり前ですが)。 三皇五帝の伝説のうち,五帝の方は戦国時代の五行説から生まれ,三皇は秦・漢代に天地人三才の思想から生まれて,司馬遷『史記』にまとめられたものと考えられますから,この話はいくら早くても『史記』成立以後に成立したとみなすことができます。 それはさておき、「長い歳月を経て伝承され、記録に残された」と韓国国定教科書が自画自賛する檀君建国説話は、資料として登場するのは歴史的には何時でしょうか? 驚くなかれ、13世紀の平壌地方の説話集『三国遺事』に初めて書かれたものです。つまり、韓国人の頭では、檀君の話は、紀元前24世紀から13世紀まで、約3600年間延々と伝承されてきた話だ、というのです。 ちなみに、中国の史書にはまったく檀君の記述はありません。 『三国遺事』は歴史書ではなく、13世紀の仏教僧侶一然が「つくり話」を集めたものです。 一然の集めた「つくり話」では檀君は1800年以上生き、中国から箕子がやってきたとき「山神」となったと書いています。 韓国では,それを歴史として扱い,「歴史的事実」であるとして子どもたちに教えているのですよね。 しかも、国定の歴史教科書には紀元前10世紀の琵琶形銅剣を、紀元前24世紀の檀君建国の証拠だと主張しているのです。普通の知能をもった子ども、ちょっと賢い子どもならば、こんな嘘は見破ってしまいます。 同じ国定教科書の青銅器文化の単元では「琵琶形銅剣は紀元前10世紀ころに満州に現れる」と書いているのに。 こんな歴史を教わる韓国の子どもたちをたいへん可哀想に思います。 最初から出鱈目が書かれている教科書を誰が信用するでしょうか。 歴史的にみれば、檀君朝鮮に関する資料は13世紀以前には遡れません。 例えば1123年に高麗を訪れた中国人・徐兢の見聞記 『宣和奉使高麗図経』「建国」の章に檀君に関する記述が全くありません。これは、高麗人自身が檀君神話をまったく知らなかった事の証明になります。 もちろん、高麗王朝の認めた正史である『三国史記』にも、檀君の話は全くありません。 そもそも、朝鮮半島に暦法(Calendar)が伝わったのは7世紀ころだと見なされているのです。 蛇足ながら、中央アジア原産のニンニクが朝鮮に伝わったのも、漢の時代以降のことです。 普通の理性的な頭で考えれば、紀元前24世紀に国があり王がいて即位したなどということは荒唐無稽な話とみなすことができます。そんな大帝国がもし本当にあったとするなら、なぜ3世紀の朝鮮半島は弁韓12ヶ国、辰韓12ヶ国、馬韓50余国に分かれていたのでしょうか? しかし、どんな荒唐無稽な話でも、韓国人はそれを信じなくてはいけないのです。 「お前たちは熊の子孫か?」と全世界の人々に嘲られ、嗤われながら。 「Korean Crazy History!!!」と世界中の人々に軽蔑され、罵られながら。 そう考えると、ある意味では、韓国人が可哀想でなりません。 何しろ、韓国の歴史教科書は「国定」1種類しかないのです。 ねじ曲げられた歴史の被害者なのです。 一刻もはやく、韓国の歴史捏造政策が終わればいいナぁ、そんな風に考える今日このごろです。
by 699yabuhebi
| 2006-12-16 21:11
| 韓国史のはじまり
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