韓国との歴史認識の共有は可能かを探る
by 699yabuhebi
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サラ・ペイン (US 海軍大学)の語る日清戦争

最初の日中戦争 (日清戦争) は日本と中国に対する外国の認識に非常に大きな衝撃を与えた。この戦争に先んじて 1885 年に上演された「ミカド」というイギリスの有名なミュージカルがあり、これは日本についての一般的な認識を表していた。ミュージカルはサムライのコーラスで始まる。「私たちが誰か知りたいか / 私たちは日本の紳士だ / たくさんの壷や瓶の上で / たくさんの舞台と観客の上で / 私たちは鮮やかな姿をしている / 私たちの振る舞いは奇妙で風変わり」そして次の節へ続く。「もし私たちが糸で動かされていると思うなら / 日本の操り人形のように / あなたたちは分っていない / これはただの宮中礼式なのだ」。これがヨーロッパの認識であった。つまり、前近代的な日本がヨーロッパ列強にかかわる重大な問題にではなく、とるにたらない自国のしきたりに夢中になっている、ということである。対照的に、中国はヴォルテールのような啓蒙主義の哲学者たちによってかなり知られるようになり、西欧の尊敬をつなぎとめていた。戦争前夜、イギリスが所有する『ノース・チャイナ・ヘラルド』紙は、中国を「世界の列強としての尊敬に真に値する、唯一のアジアの大国である」と表現している。

一年も経たないうちに、この全てが変化した。中国は莫大な人口、軍隊、資源基盤、そして戦場への近接性、優れた戦艦、数年にわたる軍事的近代化にもかかわらず、全ての戦闘を通じてひどい負け方をしたのである。その軍隊は混乱の中で軍事物資を置き去りにしたまま原野に逃れ、地元住民に損害を与えた。他方で官僚は、外国の敵を倒すのに協力するよりは、国内の競争者を犠牲にして自分たちの権力を維持することをより重視していた。中国の堕落と無能さ同様、日本の武勇と専門的技術はこの戦争に対する外国の傍観者たちの関心を引きつけた。


これらの叙述は、筆者の新刊書 The Sino-Japanese War of 1894–1895: Perceptions, Power, and Primacy, Cambridge University Press, 2002. に基づいている
1895 年に、アメリカの海軍長官ヒラリー・A・ハーバートは次のように記した。「日本はほとんど一飛びに世界のしかるべき地位へと躍進した。中国との戦争における日本の最近の功績は全世界の注目を集めてきた。そして世界は今、これまで研究者や政治家たちさえもほとんど考慮に入れていなかったこの小さな島国の王国が、他の諸国が数世紀もかけて横断した土地に数十年で進出してきたという驚くべき事実を認めている」。また、イギリスのジャーナリストでアジアの専門家でもあるヘンリー・ノーマン卿は戦争の半ばに、「中国との戦争、そして (1894 年の日本にとって法的に対等な) イギリスとの条約は、最終的に諸外国に対して今の日本を認めさせることになるだろう。日本人は素晴らしい知性とたゆまぬ行動力・熱意を持った、勇敢で誇り 高い民族である」と記している。

日本とは対照的に、ヨーロッパにおける戦後の中国認識は決して喜ばしいものではなかった。ロシア外務省の公式新聞『ジュルナール・ド・サンペテルスブール』はこう述べている。「この戦争の始まりから、中国は痛ましい光景を呈してきた。ここまで弱いとは誰も疑わなかった」。また、イギリス人のアジア専門家であるアレクシス・クラウスは中国を「中心が腐敗し、病んだ統治が行われ、団結を欠き、自衛の手段を有していない… 中国の回復力を信じることは、無駄な信念にすぎない… 政治的存在としての中国は絶望的である」と見なした。

東洋においても西洋においても人々の認識を変えたこの戦争は、極東に関与している全ての諸国の外交政策に影響を及ぼした。中国の脆弱性への認識は、より攻撃的な外国の侵入を引き起こし、「利権の奪い合い」として知られる、海外の列強が中国を勢力圏に分割する時代を招いた。逆に、日本の強さに対する認識は、日本を列強の地位へと導いた。 1902 年の日英同盟は日本の新しい地位を正式に認めるものであった。これはイギリスにとって、ナポレオン戦争の終結から第二次世界大戦までの間の、唯一の同盟だった。

新しい勢力均衡が生まれた。中国の数千年に及ぶ地域への支配が突然終焉した。日本はアジアの支配勢力となり、その地位は 20 世紀の間ずっと続くものであった。日本は政治の変容と結びついた急速な経済成長が、潜在的にグローバルな帰結に結び付くということを示してきた。そうすることで、日本は工業化が西欧の専売特許ではないということを証明してきたのである。

一方でもし戦争が日本を列強の地位に押し出したとするならば、戦争は中国を奈落の底へ沈めた。それは中国が捨て去ることの出来ない、優越性への執拗な自覚の根幹を打ち砕き、世界における中国の地位の見直しを余儀なくさせる。かつての儒教世界の構成員である日本に敗北を喫したことは、アヘン戦争を含む、かつてのいかなる西欧諸国による敗北よりもこれを決定的にする。なぜなら異なる文明による敗北ならば軽く扱われうるが、儒教秩序のかつての構成員による敗北ではそれができないからである。同様に、中国におけるいかなる政治的安定の痕跡も打ち砕かれただろう。儒教秩序から変化した構成員による勝利は、この秩序の正統性を決定的に掘り崩した。中国人にとってこの戦争は、彼らの世界を覆すものとなった。一世紀後の今なお、中国は長い間中華思想の根幹を形成してきた安定的な儒教秩序に代わる、満足のいくものをまだ見つけていない。

この戦争はロシアにも極めて大きな衝撃を与えた。それはロシアの外交政策がヨーロッパから離れアジアへ向かうという根本的な変更をもたらした。ロシアは日本が防衛の手薄なシベリア国境地帯にとって重大な脅威になると判断した。その結果、ロシア人の入植計画と満州の発展が加速化され、シベリア鉄道が現在と同じアムール川の北岸沿いではなく、バイカル湖—ウラジオストク間の連結をより短くするために北満州を横断するという運命的な決定がなされた。 1900 年、義和団の乱が鉄道路線にひどい損害を与えたとき、ロシアは満州全土を占領するために 10 万以上の軍隊で応酬した。満州におけるロシアの、このように大規模な財政的・軍事的介入が意味することは一つである。つまり、ロシアはアジア大陸への日本の侵入を最小限にとどめようとしていたのだ。ロシアと日本の野心の競争は、結果として日露戦争での衝突につながった。

日清戦争は古い儒教秩序と極東の諸関係を規定してきた朝貢システムの終焉を運命づけた。日英同盟やロシアの外交政策の変更によって示されるように、この戦争はまた、アジアの出来事がヨーロッパに直接的に影響を及ぼすというグローバルな政治の新しい時代の到来を告げるものでもあった。
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by 699yabuhebi | 2006-12-24 18:43 | 近現代史
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