韓国との歴史認識の共有は可能かを探る
by 699yabuhebi
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【日韓歴史比較1727-1910】明治維新と朝鮮半島の産業革命(4)

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韓国併合(Wikipedia )
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朝鮮総督府は1910年-1919年に土地調査事業に基づき測量を行ない、土地の所有権を確定した。この際に申告された土地の99%以上は地主の申告通りに所有権が認められたが、申告がなされなかった土地や、国有地と認定された土地(主に隠田などの所有者不明の土地とされるが、旧朝鮮王朝の土地を含むともいう)は接収され、東洋拓殖株式会社法(明治41年法律第63号)によって設立され、朝鮮最大の地主となった東洋拓殖や、その他の日本人農業者に払い下げられた。これを機に朝鮮では旧来の零細自作農民が小作農と化し大量に離村した。朝鮮総督府は東洋拓殖会社の一部の資金で朝鮮半島で日本窒素などの財閥に各種の投資を行った。日本の統治下で、李朝時代の特権商人が時代に対処できず没落する一方、旧来の地主勢力の一部が乱高下する土地の売買などによって資金を貯め、新興資本家として台頭してきた。これらの新興資本家の多くは総督府と良好な関係を保ち発展した。
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「日本による朝鮮支配の40年(姜在彦/朝日文庫)」1992年 
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1918年、つまり土地調査事業の終わった年の統計によれば、
 全農家の3.3%(9万386戸)が全耕地面積の50.4%を所有(地主)
 全農家の37.6%(100万戸余り)が土地のない小作農
 全農家の39.3%(104万戸余り)が自作兼小作農
 全農家の19.6%(50万戸)が自作農
というような農家構成があらわれています。

 全農家の3.3%、戸数からすると約9万戸が全農地面積の半分以上を所有しているのです。これは農家というよりも地主です。農業経営にタッチせず、じっと座って小作料を得て生活する地主層なのです。もちろんこの3.3パーセントには朝鮮・人、日本人を含みます。(中略)小作料は建前としては5割ですが、実際には7割ぐらいになっていたのです。ですから、朝鮮の全耕地面積の半分から生産される穀物の5割ないし7割が、全農家の3.3パーセントにすぎない地主に集中するということなのです。なぜ小作料が七割ぐらいにまでなったかというと、労働市場においても、労働力を売る側に比べて買う側が少ない場合、売る側は安売りします。それと同じで、農村でも他に転業できるような近代産業が少ないため、土地にしがみつくしかない農家がたくさんいる。おのずから小作権をめぐって小作農民間の競争が起こり、常に地主が有利な立場に立つ。ですから地主の無理難題も通るわけです。

* 「小作人過剰が小作料低下を招く悪循環」「積年の借金苦(1932年調べで全農家のうち52%)」に苦しめられていた朝鮮半島にとって、半島向けに出荷した場合の何倍もの現金収入を入手出来る日本への米輸出こそが唯一の頼みの綱だった。1926年から国内消費量を減少させてまでの輸出ブームが始まり、その結果1932年には1926年の価格の約4割にまで下落するという異常事態が発生した。その為とうとう全農家の約4割を占める最下層自作農(経済原理からいって本来とっくの昔に淘汰されていなければいけなかった層)はついに小作人化するか離農するか選ばざるを得なくなったのである(日本の農家が受けた打撃はそれ以上だったが、韓国人にとって『自分が加害者だった』話は興味の対象外と思われるので、ここでは割愛する)。当然、朝鮮総督府は事態を傍観してはおらず金利低下施策と農村振興運動を積極的に推進していった。しかしそれでもこれを契機に朝鮮半島の産業構造が起こる事は回避し得なかったのである。
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米価暴落により小作業に見切りを付けた貧農の多くが、工場や鉱山で働く労働者に転換していきました。
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1920年代における工業化の推進(朝鮮総督府「朝鮮総督府統計年表」)
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    工場数  従業員数
1920 2,078  55,279
1929 4,052  93,765
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溝口敏行・梅村又次編 『 旧日本植民地経済統計 -推計と分析-』
東洋 経済新報社、1988年。
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工業生産物/農業生産物の純生産物比 (単位:%)
     日本  台湾  朝鮮 
1904 30.7 22.8   日露戦争
1906 41.3 43.6  
1908 43.0 24.7  
1910 50.6 59.8     日韓併合
1912 52.2 51.3 5.8
1914 53.7 45.8 6.8 第一次世界大戦勃発/金輸出禁止
1916 66.9 67.8 12.6
1918 78.7 67.0 12.5 第一次世界大戦終結
1920 67.4 69.3 10.4
1922 86.0 55.2 10.6
1924 85.0 67.2 11.1 関東大震災(1923)
1926 95.0 58.4 15.0
1928 105.9 55.7 15.2 昭和恐慌(1927)
1930 114.6 60.4 14.6 金輸出解禁/浜口首相暗殺未遂
1932 123.7 49.6 16.7 満州事変(1931)/5.15事件(犬養首相暗殺)
1934 161.0 60.1 25.4
1936 165.0 67.2 37.2 2.26事件
1938 212.9 58.9 33.9 盧溝橋事件(1937)

*ふと、何かの本で読んだ一節を思い出した。「朝鮮半島の人は、3.1独立運動の時は確かに皆『マンセー』って叫んでたんですよ。ところが終戦のときは皆『バンザイ』って叫んでるんですよね。良く自分達が変わってしまった事に気付かないもんだと思いました」。果たして戦後の韓国とは何か。「日韓併合前は農業以外にめぼしい産業もない貧乏国家だったのに、解放後は従前の農業生産力を保持しながら工業資本主義化も成し遂げていた(統治体制も朝鮮総領府のそれを継承:すでに職員の半数が韓国人だったので、日本人が去った後残り半分を埋めるだけで良かった)」。その事実を知らないまま今日まで来てしまったのではないか? 工業化に成功した国は日本や台湾を含め全て『近代化の傷み』を自主的に味わって来て、そこで得た教訓をバネにして今日なお発展を続けている。「不愉快だった事は全て日本のせい」と思い込む事で韓国だけその機会を逸し「自主的な工業化が怖し過ぎて出来ないでいる国」の仲間入りを果たそうとしているのではないか。ある掲示板で見掛けた韓国人主婦の書き込みを思い出す。「新しい米軍基地が朝鮮半島のどこかに必要だって事は分かってるんです。でも、どの韓国人も自分の住んでる地域に設置するのには反対しますよね。だから多分朝鮮半島に基地が新設出来ないのは仕方ないですよね?」。韓国人よ、君達の代わりに計画を立てて、憎まれてまでそれを遂行してくれる庇護者はもういないのだ。良い加減気付いて欲しい。
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朝鮮総督府「朝鮮総督府統計年表」各年度 日本帝国主義下の朝鮮経済(金洛年)
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産業別生産価額  (単位:百万円)
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   1918年 1925年 1930年 1935年  1940年
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農業  984   1,178   686  1,105  1,970
水産業  33   54   52    69   191
林業  26    52   61   111   198
鉱業  15    15   19   74   357
工業  180   308 280   568  1,874
紡績  26    41   46   83   232
金属   24   20   12   27  130
機械器具  3    5   10    12    77
窯業   4    10   10    18    62
化学  14    42   42  147  669
木製品   3    6    6    8    35
印刷製本  3    8    9    13    19
食料品   45    98   82   169   373
その他   59    78   64    91   246
合計  1,238 1,608 1,099  1,927  4,591
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* 戦前日本に留学して労働運動について学んだ「本格抗日派」の方がこういう事態をどう考えるべきかについて精通していた。なぜならそれはまさしくマルクスの『資本論』に描かれた資本主義形成過程に他ならなかったからである。

イギリスにおける毛織物産業の成長の例

「牧草地の拡大→近隣農民の生業阻害(いわゆる『囲い込み』)
 →都会への貧民層流入→織物工場の労働者確保」

 この過程はまさに日本列島と朝鮮半島でも起こった事だ。マルクス主義哲学はその次の段階で『富の再配分に領主が応じる事はないので、労働者は暴力革命に走らねばならぬ』事を想定するのだが、日本はその不可能とされる『労働者への富の再配分』を歴史上幾度も繰り返してきた。タネを明かせば簡単で『労働者から勤労意欲を引き出すには一定以上の見返りがなければならぬ』と考える伝統が昔から存在し、労働者が勤労意欲を失い始める都度、微調整を入れるノウハウが昔から存在してきたのである。当時は「これに賭けて見よう」と思った人が「親日派」となり、「所詮は目くらましよ」としか感じられない人物が「本格抗日派」となった。戦後になってやっと「仕組みさえ分かれば、別に日本を意識するまでもない」と気付き、それの韓国版を実践して国民や社員の勤労意欲を引き出す人物が現れてくる。朴正煕(パク・チョォンヒ)大統領や三星社長李健熙(イ・ゴンヒ)がそうで、彼らなしに『漢江の奇跡』の達成は不可能だったのだが、戦前からパラダイムシフトを迎えてない新左翼(ニューレフト)層の目には彼らさえも『まやかし』に過ぎず憎むべき『親日派(チルンパ)』にしか見えてない。本当に韓国は既に『自分の運命(パルチェ)を選び終わって』おり『もはや誰にも邪魔されたくない』としか感じられない段階に入っているのか? 改めて韓国人に問いたい。「サムスンがニューヨークに本社を移転する手続きを黙々と進めている」という噂がある。韓国の皆さんはこれについてどう思いますか。自分達が何に加担してるのかが分かっていますか。

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ところで開発の資本はどこから調達して来たのでしょう?
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「財政・金融政策から見た朝鮮統治とその終局」 
財団法人友邦協会/朝鮮史料編纂会/朝鮮総督府元財務局長水田直昌
第6章朝鮮産業の資金形成
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朝鮮開発の財源
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朝鮮に於ける生産拡充、産業界に於ける資金形成の問題ということですが、自己による資本の蓄積というものは低調でありまして、昭和17年、昭和18年までは、常に預金が貸し出しに及ばないオーバー・ローン、今のオーバーローンは中央銀行から資金を借りてオーバーローンと言いますが、預金が貸し出しに及ばないということをもってオーバーローンということであれば常に朝鮮はオーバーローンであった。しからば預金が貸し出しに及ばないというギャップは何で埋めたのかと言いますと、大体殖産債権、東拓債権、金連債権というものによって取り入れた資本でギャップを埋めておったというのが、朝鮮の実情です。それから朝鮮銀行券の保証発行、これは例の資金をクリエートする。大部分は殖産債権、東拓債権、金連債権であったのです。具体的の数字を申し上げますと、昭和15年末でありますが、一括した銀行の預金が十一億四千九百万円、それに対する貸出が19億6300万円となります。金融組合はこれはトントンくらいです。信託預金が8200万円、貸出が6700万円、東拓預金が1600万円、貸出1億4700万円。それから郵便貯金が1億2700万円、これは全部預金部に入ってしまいますから、郵便貯金の貸出はないので、バランスに於いてはゼロということになります。預金を全部集めまして17億4800万円、貸出が25億4600万円ということになって、貸出は8億近くの貸出超過、その他に銀行で保有しておる有価証券投資というものがあるわけです。これが8億4800万円でございますから、貸出超過と保有有価証券の合計が16億くらいになるわけです。これを何でやるか、大体殖産債権が5億7700万円、東拓債権が4億2200万円、金連債権が3100万円、保証発行が2億9000万円、大体これで13億になるわけです。その他数字上の若干のギャップがありますが、大勢をにらんで見ますと、貸出超過が8億と有価証券を合わせてこれこれ、それの主なる財源は東拓債権その他が大部分である。これは殆んど全部内地の金融市場からとって来た。これが朝鮮の実情です。後進国としてあまりなかったわけです。それからまた野口さんあたりの日本窒素などが向こうの会社つくる。あるいは製糖会社とか、紡績会社とか、直接のルートで朝鮮に資金を持ってくるということで、相当な資金流入になっておった。金融機関だけでも広い意味のオーバー・ローンということでやってきた。それを内地の金融市場に求めるということなんです。

*日本人が良く口にする「朝鮮半島支配は、全然見合わないビジネスだった」の傍証。正直言ってあと50年支配が続けられたら、「初期投資を回収して収奪の段階に入ってた」かもしれない。でも何もなくったってその頃には世界中が「独立ブーム」で沸いてたんじゃないかと思う。現実は常にそんなに甘くない。
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朝鮮内の設備の拡張を伴う産業資金の調達法

1943年、18年度に於きまして、朝鮮内の設備の拡張を伴う産業資金の調達法という調べがあります。これが内地からどれくらい、朝鮮からどれくらいということを申し上げる一つの資料ですが、その数字を見ると、各会社の手持ち資金が1億2501万円、それからその年における利益をあげた社内留保、1億4085万円、株の払込が3億9874万円、社債が7000万円、金融機関からの借り入れが6億9960万円、金融界以外からの借入れが1億3175万円、合計しまして設備拡張のために投下されたのが15億6700万円となっております。 その中で鮮内で調達しましたのが、手持ち資金が1706万円、それから保留利益が1億8055万円、株の払込が1億4871万円、社債が1000万円、金融機関の借入れが3億3330万円、その他から4374万円、合計しまして7億6808万円、15億の中7億6000万円というものが鮮内調達、8億が内地の調達、こういうような数字が出ております。金融機関だけから見ますと、預金貸出のバランスが出ておりますが、朝鮮内の資源開発に投下した半分以上というものは、内地から取り入れておる。内地の会社は住友、三井、三菱、など18年度から非常に進出しておりますから、内地に於いて自分自らの力で随分資本を持っていっておるわけです。                  

*「朝鮮半島は日本の軍需基地として使われた」韓国人はよくそう主張するし歴史教科書でもそう紹介されている。ただし、そういう側面が全面に出てきたのは戦争が大分進行した後になってからの事で、この史料はそれが「1943年頃」からであった事を示す傍証である。確かにここで生産された成果物自体は朝鮮半島の為に何の役にも立たなかったかもしれないが、その製造を通じて熟練労働者を大勢養成した筈で、それ自体は戦後の再建の為に大いに役立った筈である。「儲かっただろ?」とは口が裂けても言わない。外地内地を問わず戦争が泥沼化するに従って「供出」という名前の庶民からの収奪が組織的に徹底的に行われた事は知ってるからだ。そして、その責任は全て「負ける戦争」を始めてしまった日本国にある。それについては、本当に申し訳ないとしか言い様がない。考えてみれば、そういう立場に立てば韓国人も靖国神社の戦犯を非難できるのだが、どうして気が付かないのだろう?
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両者を比較していてどうしても考えざるを得ない問題があります。それは「日本は朝鮮半島において『版籍奉還』に始まる一連の『旧特権階級追放』施策を完遂すべきだったかどうか」という事です。強行したらしたで大量の不満を抱えた『没落両班』が生まれ、日本の『大陸浪人』と結託して『大陸両班(武官と文官が揃う)』とか『両班棒子(押し寄せるとしたら中国大陸しかない)』とかになってたかもしれません。そして、それによって戦後の『反日色』は弱まってたでしょうか? それともかえって強まってたでしょうか?
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by 699yabuhebi | 2006-12-23 13:13 | 近現代史