韓国との歴史認識の共有は可能かを探る
by 699yabuhebi
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檀君の新しさ

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写真は鹿児島県の玉山神社


秀吉の朝鮮征伐の後に朝鮮陶工がこの地にやってきてから建てられた神社で、
朝鮮神話の始祖「壇君」を祀る。朝鮮の歌舞も受け継がれてきたという。
神社には大正時代の参道改修記念碑が残されている。
多くの朝鮮式名字が刻まれているが、今は一件も残っていない。
町役場によると朝鮮式名字の多くは明治初期と戦後に自主的に変えたという

16世紀末期に秀吉の朝鮮征伐の時に連れ帰った朝鮮陶工軍団が
我が朝鮮民族の祖先である「檀君」を祀った神社を建てたいと
申し出て建てた神社はあるわけだが
4世紀〜9世紀まで多くの半島出身の帰化人が
日本に来て建てた神社はけっこうあるが
半島からの帰化人が我が民族の祖先を「檀君」と書いた記述もないし
「檀君」を祀った神社も無し(w

檀君は結構新しい時代の話なんでしょうね(w
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by 699yabuhebi | 2006-12-24 17:47 | 韓国史のはじまり

朝鮮の建国伝説

 朝鮮総体の建国伝説については、箕氏朝鮮についての伝説と檀君伝説の2つがある。

【箕氏朝鮮】

 箕氏朝鮮についての伝説によると、箕氏は徳のある人物で、はじめ中国殷王朝の最後の王である紂王に仕え、紂王が滅んだ時に紂王の横暴な行いをいさめて逆鱗に触れ、幽閉された。箕子は、殷を放伐した周の武王によって、牢獄から助け出された。武王は箕子に諸侯の一員となって欲しいと望んだが、滅ぼされた殷王朝の一族としては敵となる武王に仕えるのをよしとせず、当時は漢民族の諸侯の北辺である燕(えん・現在の北京市の周辺一帯)のさらに北東に接して現在の朝鮮半島北西部までの地域に朝鮮国をつくり、三千人の家臣を引き連れて移住し、武王によって箕子が朝鮮王に封ぜられ、朝鮮の民の教化に務めたという。

 この伝説は、司馬遷の「史記」にのみ記述がみられ、朝鮮側には文献上も伝承としても類話がなく、それらしい遺跡もないという。
 ただし、後の儒者が文献に取り入れたり、李氏朝鮮の時代に「箕氏廟」が平壌につくられたりしている。


【檀君伝説】
 もうひとつの朝鮮建国神話が、檀君(だんくん、タングン)伝説で、それは次のようなものである。

 中国伝説上の君主尭帝即位50年の年に、天帝桓因(かんいん、ホワンイン、帝釈天の別名)の庶子の王子桓雄(かんゆう、ホワンウン)を人間世界を治めるため地上に降ろすことになった。桓因は桓雄に天符印を三個(剣・鏡・鈴あるいは剣・鏡・曲玉の神器)授けて、「天下って人間界を治めてみよ」と命じた。桓雄は三千の供を率い、太白山頂上の神壇樹(栴檀(せんだん))の木の下に天降り、そこを神市と名づけた。桓雄は風伯・雨師・雲師の三神をしたがえて、穀物・命・病・刑・善悪など人間に関する360余事を司り、人間界を治め、教化につとめた。
 天降った樹の下の洞窟に住む一匹の熊と一匹の虎とが桓雄をしたい、人間になって忠義を尽くしたいと願ったので、桓雄はもぐさ一束とにんにく二十本を与え、洞窟にこもって百日間の修行をすることを命じた。ところが気短な虎は修行に耐えられず逃げ出してしまって人間になりそこねた。熊は首尾よく修行を全うして美女と化した。そこで桓雄はその熊女を娶って王子の檀君王倹(おうけん、ワンゴム)を生ませ、王倹は平壌城(別名を王倹城。今の平壌ではないとする説もある)に都を定め、はじめて朝鮮の国を開いた。その後、都を白岳山の阿斯達(あしたつ、アサダル)に移し、1500年間国を治めたが、周の武王が箕氏を朝鮮に封じたので、蔵唐京に移り、のちに阿斯達にもどって山に隠れ、山神になった。1908歳もの長寿を全うした。

 この説話がはじめて文献としてみられるのは、高麗後期の僧一然(1206~1289年)の説話集「三国遺事」である。箕氏に言及しているところから、一然が司馬遷「史記」を読んだことは明らかである。
 後に、この檀君による建国の年は、「尭帝即位50年」という記述を根拠に西暦紀元前2333年だとされた。
 なお、韓国国定国史教科書では紀元前7世紀の韓半島における青銅器遺物の出土を根拠に「檀君朝鮮は歴史的事実である」として子どもたちに歴史を教えている。
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by 699yabuhebi | 2006-12-24 11:28 | 韓国史のはじまり

山神になった檀君

 13世紀に一然という仏僧によって書かれた『三国遺事』には、「唐高(尭)の即位五十年庚寅に平壌城を都とし、始めて朝鮮と称した。そ れから都を白岳山阿斯達に移した。これは弓忽山とも今於山ともいう。国 を治めること千五百年にして、周虎(武)王の即位己卯の年に箕子が朝鮮 に封 ぜられたので、檀君は蔵唐京に移り、後また阿斯達に隠れて山神とな った。 寿千九百八歳であった」とある。



 中国伝説上の皇帝である「尭」の即位50年というのを、西暦になおすとBC2333年になるのだそうだが、もちろん中国では、これを史実とは考えていない。BC2383年ころの中国はまだ新石器時代であり、甲骨文字さえ生まれていないのだから、尭を含む「五帝」の伝説はあくまでも伝説なのだ。

 ところが韓国では、おもしろいことに、尭の即位50年後と記された檀君即位が史実だと信じられており、国定歴史教科書にも「歴史的事実」だと強調されているのである。

 韓国人が「ウリナラの歴史は半万年」と誇る根拠が、これだ。

 これほど根拠薄弱で荒唐無稽なできごとを実際にあったできごとだと考えているのは世界中さがしても韓国人だけであろう。実に滑稽な話だと思う。

 尭帝の伝説は、司馬遷の『史記』に書かれたのだから、普通に考えれば、檀君の話は『史記』以降につくられた話だとするのが妥当だが、韓国人はそうは考えない。あくまでも13世紀の一然の著作は完全であり、間違いはないと考えるのである。

 しかも、檀君の祖父とされるのは桓因という名であり、これが帝釈天の別名であり、元来はインドの神様インドラであることはよく知られている。

 であるなら、どうしても、この話は韓国に仏教が伝わった4世紀以降につくられたはずであるが、それでもやはり、紀元前24世紀に朝鮮という国が建国されたと韓国人は考えるのである。

 それどころか、中国4000年の歴史に対して「ウリナラ半万年」だから韓国の歴史は中国の歴史より古いと主張するのである。こうなると滑稽を通り越している。檀君伝説をよく読めば、この話はむしろ韓国の歴史が中国の歴史の一部であることを示しているのである。

 そしてまた、国を治めること1500年というのだから檀君も長生きだ。いくら熊の子だからと言っても、そんなに長生きするものだろうか。寿命は1908歳だという。これを韓国人はみな「歴史的事実」だと頭から考えているのだからスゴイ。

 韓国の子ども用の歴史教科書では、ひとりで1908年生きたのではなく、檀君は「檀君王倹」という称号だったと歪曲している。一然の話をねじ曲げているのだ。

 もちろん、これはでっち上げの解釈であり、中国の文献では「王倹」は平壌の古名であり、王の称号などではないことは世界中でよく知られている。このあたり、一つ嘘をつくためにいくつも嘘をつかざるを得なくなっているのである。韓国という国のおかしさは教育者や政府、学者が平気で嘘をつき、一種の愚民化教育をおこなっていることだ。

 これでは、知性のある人々が国外への逃亡をはかるのも無理はない。



 ところで、熊の子である檀君は中国からやってきた「箕子」に遠慮して「山神」になったというのだ。中国人に対しては檀君でさえ事大し、遠慮するのが韓国人である。そういう意味では韓国人の卑屈ぶりが滲み出ている。

 桓雄もニンニクとヨモギを食わせてセクスするなんて、帝釈天の息子の割には韓国人の先祖らしく好色だ。何も熊を性奴隷にしなくてもよいと思う。



 13世紀につくられたつくり話ひとつとっても、民族性がよく出るものである。
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by 699yabuhebi | 2006-12-23 13:29 | 古代史

ことしは檀君が国を開いてから4339年目ですね。

 「半万年」まで、あと661年あります。

 ところで、檀君建国説話は、13世紀の平壌地方の説話集『三国遺事』に初めて書かれたものです。中国の史書にはまったく檀君の記述はありません。

  韓国人は「むかし話」「神話」「つくり話」と「歴史」との区別をまずつける必要があると思います。歴史は事実をもとに考えていく学問だからです。

 『三国遺事』は歴史書ではなく、13世紀の仏教僧侶一然が「つくり話」を集めたものです。それを歴史として扱う韓国政府がそもそも非常識すぎます。
 そのことに対し、IQが高いと自負する韓国人は抗議しなくてはならない。

 しかも、国定の歴史教科書には紀元前10世紀の琵琶形銅剣を、紀元前24世紀の檀君建国の証拠だと主張しているのです。ちょっと賢い子どもならば、こんな嘘は見破ってしまいます。
 こんな歴史を教わる韓国の子どもたちはたいへん可哀想です。
 最初から出鱈目と捏造が書かれている教科書を誰が信用するでしょうか。

 檀君朝鮮に関する資料は13世紀以前には遡れません。例えば1123年に高麗を訪れた中国人(宋からの使臣)徐兢の見聞記 『宣和奉使高麗図経』「建国」の章に檀君に関する記述が全くありません。これは、高麗人自身檀君神話を知らなかった事の証明になります。

 もちろん、12世紀の半島最古の正史『三国史記』にも檀君の記事はありません。
 そもそも、朝鮮半島に暦法(Calendar)が伝わったのは7世紀ころだと見なされているのです。
 紀元前24世紀に国があり王がいて即位したなどということは荒唐無稽なつくり話以外の何物でもありません。韓国以外のすべての国でそう思われており、そのため、韓国人は韓国で歴史教育を受けたというだけで嘲笑と蔑視の対象になっているのです。


 韓国史で確実にさかのぼれるのは約400年続いた「楽浪郡」です。確かに漢の植民地ではありますが、史書にも詳細に記載され、それを裏付ける遺構や遺物はたいへん多いですから、その実在ははっきりしています。そしてまた、漢や魏による支配が衰えて、高句麗・百済・新羅が勃興したというのは理屈としてわかりやすい話です。
 百済は帯方郡にいた中国人の文化を引き継いだのです。
 中国には、漢からの亡命中国人衛満が「朝鮮」という国を建てて80年続いたという記録が確かにありますが、遼東半島につくった中国人の国であり、後世の朝鮮とは無縁ですし、また、衛氏朝鮮のことは遺跡や遺物ではまったく確かめられていません。

 百済や新羅の勃興以前の朝鮮半島が、馬韓、辰韓という小国家連合だったのに、それより何千年も前の石器時代に、檀君朝鮮が朝鮮と満州にまたがる大帝国をつくっていたなどということは、歴史の流れとしても、絶対にありえない想定なのです。

 韓国人よ、いい加減、夢から覚めましょうよ。
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by 699yabuhebi | 2006-12-16 22:55 | 韓国史のはじまり

ウリナラ半万年の歴史

 韓国人はよく「わが国の歴史は半万年」つまり5000年だといいますよね。

 中国で確認されている最初の王朝は殷王朝で、紀元前16世紀ころにようやく都市国家がつくられ、甲骨文字、青銅器が使われ始めたとされていますが,韓国では紀元前2333年1月1日にインドの神様「帝釈天」の子孫である「檀君」(人間になりたいと願う熊女の子)が国を建てたということが歴史的事実として教えられていますね。


 韓国国定高等学校国史教科書には、「青銅器文化の発達とともに君長が支配する社会が出現した。これらのなかで強い勢力をもつ君長は周辺社会を統合し,しだいに権力を強化していった。最も早く国家に発展したのは古朝鮮だった。古朝鮮は檀君王倹が建国したとされる(紀元前2333)。檀君王倹とは当時の支配者の称号だった。古朝鮮は遼寧地方を中心に成長し,隣接した君長社会を統合しながら韓半島にまで発展した。このような事実は出土した琵琶形銅剣の分布から知ることができる。

 古朝鮮の建国の事実を伝える檀君の話は,わが国の始祖神話として広く知られている。檀君神話は長い歳月を経て伝承され記録に残されたものである。後世に付け加えられたり削除された要素もあるが,これは時代により関心事が異なるためである。しかしこの記録は青銅器文化を背景にした古朝鮮の成立という歴史的事実を反映しているのである。」と書かれています。

 わずか10センテンスのなかに「このような事実」「建国の事実」「歴史的事実」と、これでもか、これでもかと言わんばかりに「事実」という言葉が登場します。

 それほど明白な事実ならば、こんなに強調しなくてもよさそうなものです。


 そしてまた、もちろん、「王倹」というのは地名(平壌の旧名)であり、「当時の支配者の称号」などではありません。

 なぜ、このように歪曲するのでしょうか?

 たぶん、檀君が「支配者の称号」でないなら、つまり個人の名前ならば、人間が2000年も生きたことになるので教育的に具合がわるかったのでしょう。「神話」だと教えれば何の問題もないのに、「歴史的事実」として教えなくてはならないから、つじつまを合わせたわけです。

 しかし、嘘に嘘を重ねるから、かなり苦しい解釈をせざるを得ません。

 ところが、東アジアの古代史に詳しい人なら、誰でも「王倹」が地名であることは知っています。中国の歴史書には頻繁に「王倹」「王倹城」という地名が出てきますから、韓国人以外なら誰でも王倹が地名であることを知っているのです。もちろん、欧米の東洋史学者もよく知っています。プロの目からみれば、韓国の歴史教育は「情熱をもって非常識と嘘を教える」ことになっています。


 そして、普通に考えれば、帝釈天が登場するということは、朝鮮半島に仏教が伝わって以後の話だということは誰にでもわかるはずなのです。しかし、韓国人にはそうした理性はありません。

 説話では、天帝桓因の子である桓雄が太白山の峯に降臨して熊から人間に化身した女との間に檀君をもうけたとされています。

 仏教に詳しい人ならば常識ですが、このなかで天帝とされた「桓因」とは,元来はインドの神であった帝釈天の別称なのです。


 そして、紀元前24世紀ころの中国はまだ石器時代で、文字(漢字のもとになる甲骨文字)さえなく、暦さえなかったというのに、韓国では、すでに琵琶型銅剣が用いられ、どのような文字が何に記されたのかは必ずしも明らかではありませんが,とにかくそういう記録があったというのです。

 もし、これが本当ならば、人類最古の文字と言われたシュメール人の楔形文字よりもずっと古い文字ということになります。

 一体、どんな文字で「記録された」というのでしょうか?


 日本人からすると,とても信じられない話ですが,大抵の韓国人は檀君による建国を歴史的事実だと信じており,前2333年を元年とする「檀君紀元(檀紀)」が用いられます。

 2006年現在での檀紀は4339年ということになり,あとたった661年で半万年だ,われわれの歴史は中国の歴史よりもずっと古いというのです。何ともスケールの大きい話です。スケールだけは。

 ところで、紀元前2333年という、一見出鱈目な年代はどこから出たものなのでしょうか?

 これは元来,中国の古代伝説中の理想君主で五帝の一人である尭の即位50年を西暦にあてはめただけのものなのです。

 もちろん、これを史実であると認めるのはきわめて難しいことです。中国人でさえ、尭が紀元前2383年に即位したなんて考えていません(当たり前ですが)。

 三皇五帝の伝説のうち,五帝の方は戦国時代の五行説から生まれ,三皇は秦・漢代に天地人三才の思想から生まれて,司馬遷『史記』にまとめられたものと考えられますから,この話はいくら早くても『史記』成立以後に成立したとみなすことができます。


 それはさておき、「長い歳月を経て伝承され、記録に残された」と韓国国定教科書が自画自賛する檀君建国説話は、資料として登場するのは歴史的には何時でしょうか?

 驚くなかれ、13世紀の平壌地方の説話集『三国遺事』に初めて書かれたものです。つまり、韓国人の頭では、檀君の話は、紀元前24世紀から13世紀まで、約3600年間延々と伝承されてきた話だ、というのです。

 ちなみに、中国の史書にはまったく檀君の記述はありません。
 『三国遺事』は歴史書ではなく、13世紀の仏教僧侶一然が「つくり話」を集めたものです。

 一然の集めた「つくり話」では檀君は1800年以上生き、中国から箕子がやってきたとき「山神」となったと書いています。

 韓国では,それを歴史として扱い,「歴史的事実」であるとして子どもたちに教えているのですよね。


 しかも、国定の歴史教科書には紀元前10世紀の琵琶形銅剣を、紀元前24世紀の檀君建国の証拠だと主張しているのです。普通の知能をもった子ども、ちょっと賢い子どもならば、こんな嘘は見破ってしまいます。

 同じ国定教科書の青銅器文化の単元では「琵琶形銅剣は紀元前10世紀ころに満州に現れる」と書いているのに。

 こんな歴史を教わる韓国の子どもたちをたいへん可哀想に思います。
 最初から出鱈目が書かれている教科書を誰が信用するでしょうか。


 歴史的にみれば、檀君朝鮮に関する資料は13世紀以前には遡れません。

 例えば1123年に高麗を訪れた中国人・徐兢の見聞記 『宣和奉使高麗図経』「建国」の章に檀君に関する記述が全くありません。これは、高麗人自身が檀君神話をまったく知らなかった事の証明になります。

 もちろん、高麗王朝の認めた正史である『三国史記』にも、檀君の話は全くありません。


 そもそも、朝鮮半島に暦法(Calendar)が伝わったのは7世紀ころだと見なされているのです。

 蛇足ながら、中央アジア原産のニンニクが朝鮮に伝わったのも、漢の時代以降のことです。


 普通の理性的な頭で考えれば、紀元前24世紀に国があり王がいて即位したなどということは荒唐無稽な話とみなすことができます。そんな大帝国がもし本当にあったとするなら、なぜ3世紀の朝鮮半島は弁韓12ヶ国、辰韓12ヶ国、馬韓50余国に分かれていたのでしょうか?

 

 しかし、どんな荒唐無稽な話でも、韓国人はそれを信じなくてはいけないのです。

 「お前たちは熊の子孫か?」と全世界の人々に嘲られ、嗤われながら。

 「Korean Crazy History!!!」と世界中の人々に軽蔑され、罵られながら。


 そう考えると、ある意味では、韓国人が可哀想でなりません。

 何しろ、韓国の歴史教科書は「国定」1種類しかないのです。

 ねじ曲げられた歴史の被害者なのです。



 一刻もはやく、韓国の歴史捏造政策が終わればいいナぁ、そんな風に考える今日このごろです。
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by 699yabuhebi | 2006-12-16 21:11 | 韓国史のはじまり