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韓国との歴史認識の共有は可能かを探る
by 699yabuhebi


韓国経済の急成長時代

韓国の黄金時代=それは日本統治の35年間(1910ー1945)

データでみる日本統治時代=韓国経済発展の時代

          1909年      1942年         倍率
人口       1331万人     3064万人       2.3倍
中学生数     2468人      80841人      32.7倍
電灯普及率    4456戸     795849戸     178.6倍 
造林面積       527ha     28825ha     54.2倍
林業生産    5400万円    13900万円      2.57倍
米生産高   27773万円    71521万円      2.58倍
工業生産  131712万円   865663万円
        (1914年)      (1937年)       6.57倍
鉄道里程     100キロ余    6000キロ余       60倍

 上の表をみてもわかるように、併合前の大韓帝国と日本統治時代を比較すると、わずか35年で猛スピードで経済が発展しているようすがわかるだろう。特に中学校生徒の数は30倍以上に達し、大韓帝国とくらべ、朝鮮総督府がいかに教育に力を入れたかがわかる。まさに「京城総督府の奇跡」と言える。

 そのことは、朝鮮日報でも報道された。以下にその記事があるから読んでみよう。

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「1920~30年代の成長率4.1%」(朝鮮日報)

  日帝時代、朝鮮は1937年の中日戦争勃発前まで国内生産及び支出が年間約4%の高い成長率を記録していたことがわかった。朝鮮の経済状況についての精密かつ総合的な統計が出たのは今回が初めてだ。
 落星垈(ナクソンデ)経済研究所(所長:李榮薫(イ・ヨンフン)ソウル大教授)主催で先月27日、ソウル大で開かれた「韓国の長期経済統計(2)-植民地期のGDPとGDE」において結論部分を発表した車明洙(チャ・ミョンス)嶺南(ヨンナム)大教授(経済学)は、「朝鮮総督府統計年譜」をはじめとする日帝時代の各種資料を利用し、1912~1937年までの国内総生産(GDP)、国内総支出(GDE)、経済構造変化などに対する推計を提示した。

 今回の調査結果は日帝時代の経済的性格を巡って学会で起こった論争を再燃させるものと予想される。日帝時代に高度成長がなされたという分析は日帝が韓国の近代化を主導したという主張を裏付けることになるからだ。

 車明洙教授は「今回の統計は資料を手に入れることのできない日中戦争以降の部分は抜け落ちているため、日帝時代全体に対する評価ではないが、1920~30年代の経済成長は明らかだ」と話した。これまで日帝時代の経済統計は広島経済大学の溝口敏行教授が1988年に作成したのが唯一のものだった。

 車教授によると、この期間に年平均実質GDPは4.10%、実質GDEは4.24%の成長を示した。こうした数値は溝口教授が推定した年平均実質GDP成長率3.81%、GDE成長率4.01%よりも若干高い。

 こうした成長率は同じ期間、欧州(1%台)や日本・米国(3%台)に比べ、より高いものだ。この期間、人口成長率が年平均1.61%だった点を考慮すれば1人当りの生産成長率は約2.4%を記録した。

 植民地朝鮮の経済構造はこの期間、農業を中心とする第1次産業が1911年の75%から1930年代末には45%水準に下がった一方で、第2次産業(鉱工業)と第3次産業(サービス業)はそれぞれ7%から22%、18%から33%に増加した。

 鉱工業とサービス業は1920年代はもちろん、世界的に大恐慌の打撃を受けた1930年代前半にも絶えず成長していたことがわかった。

李先敏(イ・ソンミン)記者



http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/03/03/20040303000075.html


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 先進国がマイナス成長にあえいでいるときも、朝鮮は日本本土以上の成長率を誇っていた! そのスピードは、当時、国力伸展の著しいアメリカをもしのぐ。その理由は何だったのだろう?
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 すばらしい政策「産米増殖計画」と韓国国定歴史教科書の捏造

 日本は朝鮮における米の増産に全力をあげ、1942年には、併合開始時(1912~16年)の2倍の生産に成功している。たった30年で2倍である。1230万石が2489万石になった。
 水田は1920年の155万町歩が1942年には177万町歩と22万町歩も増えた。
 面積あたりの収穫量は1910年の1反あたり0.796石が1937年には1.635石へと2倍以上増えた。

 つまり、朝鮮は日本の統治によって水田を増やしてもらい、加えて品種改良や灌漑施設の整備その他により総収穫量を2倍にしてもらったのである。
 しかし、韓国国定教科書は次のように書いている。埠頭に山と積まれた籾俵の写真を掲載して「略奪米」であるかのような宣伝をしているのである。
  「日帝は彼らの食糧不足を解決するため、韓国から米を略奪することに力を注いだ。そのため韓国の農民は彼らが生産した多くの米を日本に奪われ、飢えを免れなかった」

 これが、まったくの出鱈目であり、悪質な歪曲であることは、賢明なNAVERの韓国の兄上たちなら、すぐにおわかりであろう。もし、それが略奪米だったら、韓国全土で暴動が起きており、たった5600名の警察官(うち日本系2200人、朝鮮系3400人)では到底抑えきれなかっただろう。
 事実は全く異なっており、朝鮮農家が日本への米の移出を望んだのである。日本では朝鮮よりも高く売れるからである。これは、要するに、それまで自給自足的な朝鮮半島で急速に貨幣経済が進んだことを意味している。すなわち、貨幣の安定と商品の流入、そして朝鮮農民が購買力を持ってきた証拠なのだ。

 日本では奈良時代から溜め池をつくったり、鎌倉時代には水車の利用や灌漑池の利用がさかんにおこなわれてきたり、特に江戸時代には用水路と排水路の整備が河川の流路変更などをおこなってきた歴史がある。
 しかし、併合前の朝鮮には灌漑施設が全くないという農地が全体の9割を占めた。

 日本人には驚きだが、朝鮮の農地は日本でいえば7世紀以前の水準で、ほとんどすべてが天水に依存する原始的な農業だったのである。だからこそ、朝鮮では「測雨器」が画期的ですばらしい発明のように思われてきたのだ。
 朝鮮は農業の未発達な土地柄だったから、併合以前には今の北朝鮮同様餓死者が毎年のように出る貧しい国だった。日本は当時日本にもない東洋一のダムをつくったり、農業用水路の整備をおこなったのである。そのため、併合後は餓死者が1人も出なかった。
 朝鮮北部で貧しい農民が1930年代に「火田民」となったというのは、この地に、日本が鉄道その他の交通を開発したためである。それ以前には決して入ることのできなかった深山幽谷に火田の適地が大量に発見されたためなのである。

 英国植民地だったアイルランドでは1841年の820万人が1911年には444万人と半分になった。この間、餓死者も多く、約500万人のアイルランド人が国外逃亡したという。

 しかし、朝鮮は1910年の1313万人が1942年には2553万人と人口が激増し、しかも、1人あたりの国内総支出も1910年の58円が1938年には119円と2倍になっている。人口が増えた上に所得がさらに増えているのである。日本が韓国経済の発展に尽くした力は予想以上に大きい。

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 その理由のひとつが朝鮮総督府のすばらしい政策=「産米増殖計画」だったのだ。韓国人は、みずからの選択で選んだみずからの政府=朝鮮総督府をほこるべきであろう。

 さらに、韓国人が日本との併合を選んだことは、すばらしい福音となったこともわかる。
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 韓国人は無税=まるで天国のようだった日本統治時代
 大韓帝国はもともと予算編成能力もなければ、徴税能力もなかった。朝鮮が始めて予算を組んだのは、驚くべきことに1895年のことであった。
 1906年度の大韓帝国の予算の歳入額は、たったの748万円しかなかったのである。韓国が近代国家として運営するのに必要な年3000万円以上の予算を組むには、圧倒的に税が足りなかった。
 1907年には不足分の2700万円を直接日本が負担している。
 1908年には3100万円。
 1909年には2100万円。
 1910年には2500万円。
 日本が朝鮮を搾取したなどというのは大嘘で、日本政府が朝鮮のために日本国民の税を持ち出していたのである。
 特に併合後の10年間、驚くべきことに韓国では所得税を徴収しなかった。免税措置がとられたのである。これは欧米植民地とはまったく逆であり、韓国人は1銭も支払わず、すべて日本人ひとりひとりの血税によって韓国の近代化がなされたのである。
 そもそも、搾取できるほど朝鮮は豊かではなかった。併合前の朝鮮は「春窮」といい毎年餓死者が出るようなありさまだったが、併合後は餓死者がいなくなった。
 韓国併合後も1945年まで歳入不足の補充金は続いた。朝鮮にとって問題は、日本敗戦によってこれらの資金が入ってこなくなったことである。

 日帝植民地統治の実態とは、統治能力も財政力もない李王家に代わって大金を投じながら統治してあげたというだけのことである。
 韓国併合とは、朝鮮の被支配階級の民衆にとって、李朝時代の圧政からの解放だった。日本は朝鮮を植民地としてではなく、日本国の一部としてインフラ整備や教育制度の充実を図った。
 そして、収奪でなく福祉をもたらした。

 だから、日本を恨むのは筋違いといえる。

 無税で所得が倍増・・・・まるで夢のようだった日本統治時代!
by 699yabuhebi | 2006-12-17 04:49 | 近現代史
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