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安重根を国民的英雄に選ぶ民族心理
当時の記録を見る限り、伊藤博文暗殺が決行された時点における安重根は、意外にもそれ程英雄視はされてなかった。なにしろ大韓国帝国皇帝自らが10月18日にこう発言している。
「伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない」 これで、なおこの人物を表立って賞賛し続けるなら義士としての大義名分が立たない。それに当時の「憂国の戦士」達は、この様な暗殺事件がこれから先も次々と起こり、それによって「日帝の野望」が挫折すると無邪気に考えていたのである。ところが現実は厳しかった。 「国家の命脈が寸刻の間に迫っているのに、国民の間には何が亡国たるかを知らない人が多かった」 と、後に大韓民国臨時政府の首相も勤めた事がある金九氏でさえ述べている。例えばハワイ遊学を打ち切って帰国した李在明なる人物は「愛国心に駆られて」妻の勤務する学校の教師の主演の席を襲って仲間に迷惑を掛けた上に、さらに一進会から提出された「日朝対等合併建議」の受理をあくまで拒絶し続けていた李完用を襲撃し、彼から「最後の抵抗」を続ける気力を奪ってしまった。さらに酷かったのが安重根の従兄弟に当たる安明根の例で「安重根を見習って」強盗の計画を立てるうちに逮捕され、多数の協力者名を白状してしまったのである。それで逮捕された人々も同様に多数の名前を白状した為、黄海道の抗日グループはその大半が摘発の憂き目を見る羽目に陥った。この時逮捕された金九は獄中でこう嘆かざるを得なかった。 「己の国の任務に忠実な奴ら(日帝の手先達)は、既に奪い取った人の国の命脈を絶とうとして夜を徹している。しかし私は、自分の国を取り返す事業の為に何日徹夜した事があっただろうか」 弾圧する側に真剣さと熱意と根気で負け続ける限り、弾圧される側の勝利など有り得ない。投獄された期間中、金九は日本側が「丁稚上げ」を行う現場を目撃したと主張している。まだ年端のいかない少年の証人に対して、朝鮮語の解る日本人がいない隙を見計らって、同族の通訳が「馬鹿だな、言われた通りを認めたら、俺が責任を持って家に帰してやる」と囁き、少年が素直に頷くのを見たというのである(年端も行かぬ丁稚奉公中の少年を無理矢理やり込めて偽証させるのが「丁稚上げ」の原義だから、これはまさに「丁稚上げ」である)。また、通常の拷問では埒が開かないと見定めた尋問官が、食事を断ち切った上でキムチや肉入御麺の匂いを嗅がせても金九が耐え抜いたのを見て「これで落ちない朝鮮ゆっけ人を初めて見た」と感嘆して態度を改めるのも目にした。逆を言えば、大半の同志がそんな試練さえ超えられなかったという事である。さらには楼内で一緒になった「活貧党(1900年以降に登場し、日本人商人を襲ったり、商品を掠奪したり、果ては日本との通商禁止を叫ながら匪賊化していった義兵団)」の幹部から「我々は仲間を選ぶ時には徹底的に相手の人間性を見極め、裏切る様なら何の躊躇いもなく処刑してきた。それが出来ないあんたらとは間違っても組めない」と申し渡されている。こうして「50人に秘密を打ち明けたら、50人の密告者を作ったのと同じである」という自民族の現実を思い知らされた愛国義士達は、次第に「誰にも計画を打ち明けず一人で計画を実施し」「逮捕後も仲間を一人も売らなかった」安重根と「鉄壁の掟を厳守する」秘密結社の存在の偉大さを否が応でも痛感させられる事になったのである。 このうち本当に危険なのは実は秘密結社への憧憬の方と言って良い。 元を正せばそれは、許﨏(名家の生まれながら水滸伝に感動して「活貧党」を創始し、壬辰の乱で荒廃した朝鮮半島再生の為にあらゆる既存秩序の破壊を試み、最初のハングル小説とされる「洪吉童伝」にその行状を自叙伝的に記し続けた末に、大北党に所属したのが仇となって反逆罪で磔にされた人物)や、林巨正(黄海道中心に荒らし回った白丁出身の盗賊団の親分で、日韓併合期に洪命憙(1888~1968)によって歴史小説化された)等を筆頭とするピカレスク・ロマンの系譜なのだが、現在その精神の継承者を自認するのはむしろ北ゆっけ朝鮮である。「軍事政権による執拗な弾圧に苦しめられた学生運動を主導した386世代が何故、北ゆっけ朝鮮の工作員達に、これ程までに容易く取り込まれていったか」を読み解く鍵がここにある。日韓併合後に愛国義士達が直面した様に、自分たちの弱さを散々思い知らされた後で彼らは「朝鮮民族の弱さを克服するには、裏切者を容赦なく処刑していく鉄壁の組織しかない」とする伝統的思考を工作員達に突きつけられ、それに屈したのであろう。北朝鮮による韓国の赤化統一が例え国民の半分の処刑と残り半分の奴隷化を意味すると事前に知っていたとしても彼らは動じる事はない。その時処刑される人物の筆頭に自分の名前も挙げられていると知ってもやはり同様であろう。「それさえも平然と受け止められてこそ民族的正義の実践者」と説かれ、その峻厳さを受容する事によって初めて自己不信からくる弱気を乗り切ったのが彼らなのである。そういう彼らを今の韓国人は果たして「愛国義士」として歓迎し得るのだろうか。今問われているのはそういう事である。 どうせならそれにさえも見切りを付け、「仁や孝より義を重んずる」日本の法治主義概念を受け入れ、祖国も日本もそれで裁く決意を固めた一部抗日運動家を見習って欲しかった。皮肉にも、彼らは同時に『安重根的処世術』の徹底した実践者だったので、その内心を同志に悟られずに済む場合が多かった。概ね北ゆっけ朝鮮の限界を予め見抜いて韓国に残り、南ゆっけ朝鮮労働党を結成した人々に多かったと考えられている。その精神は、同組織にスパイとして入り込んだ朴正煕大統領を通じてむしろ軍事政権に受け継がれたとする説もある。そういう彼らを今の韓国人は果たして「愛国義士」として歓迎し得るのだろうか。今問われているのはそういう事である。 そういう思考過程を経た後でのみ「安重根だけは間違いなく愛国義士であった」という韓国人の確信の意味が他民族にも理解可能となる。伊藤博文暗殺が、結果として日韓併合を推進してしまった事など、最初からどうでも良い事だったのだ。何故ならそもそも「愛国義士」そのものが「朝鮮民族の為に自分は何が出来るか」という真摯な問い掛けから生み出されたものではなかったからである。これについては日本の幕末の志士も同様で、中には「百姓出身の俺達でも、この機会に名前を挙げれば大名になれるかもしれない」としか理解してない不届者まで混ざっていた。しかし確かに明治維新を成功に導いたのは、そういった連中に混ざって『安重根的処世術』を実践していた坂本竜馬や大久保利通といった人物達だったのである。台湾の民主化を実現した李登輝元総統や中華人民共和国を資本主義経済受容路線に切り替えた登小平元総書記もまたそういう人物であった。「他はそれだけではなかった」事に思い至るまで、韓国という国は「義士」や「秘密結社」といった前時代的遺物による精神的束縛から逃れる事は出来ない。
by 699yabuhebi
| 2006-12-19 00:14
| 近現代史
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