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韓国併合における日韓双方の前提
日韓併合期について、日本人と韓国人が議論する前にまず思い浮かべて欲しい事がある。
「飢饉の最中の狼は、あえて貪らない」という事についてである。 朝鮮半島経営の為、朝鮮総督府は併合から最後の年までずっと毎年1000万円以上の補給金を内地から支給され続けていた。頼みの綱である内地からの民間融資が「併合前の義兵運動の猛威」「日本人移民と現地住民の衝突」「31独立運動」などの印象もあって中々集まらなかったからである。現地では「(教会系活動家慰撫の為の)信仰と布教の自由の保障」「公務員の給与格差全廃」「ハングル教育」「(生産性向上の為「奉公/勤労の精神、共同の精神、自助の精神」の浸透から始めた)農村/労働指導」「交通インフラ整備(1919年以降は鉄道経営の満州鉄道委託を取り止め、国内の産物輸送を最重要課題として図們腺、恵山線、満裏線、東海線、慶全線を12年掛けて敷設する計画を立てる)」「(貧困農民救済の為の)貸付金の金利引下げ」等の地元住民懐柔策が次々と施行されていったが、その程度の事では、朝鮮半島住民の心の中に鬱屈した「国を奪われた悲しみ」「国政に参加出来ない怨嗟」「いくら働いても暮らしが楽にならない徒労感(日本の農民も、朝鮮半島の農民も、生活費入手と借金返済の為に米価暴落の最中に育てた米を一粒残さず売るしかなかった1930年代には餓死者も出た。また中の下のサラリーマン家庭の食卓は、子沢山のせいもあって「生きているのがやっと」という事が多かった)」は中々晴れなかったのである。 1922年以降は朝鮮系官僚や父兄会の多くが反対したにも関わらず日本語教育を義務化した反感を和らげる為、日本人用学校においても朝鮮語教育が義務化され、日本人官僚に朝鮮語学習が強く推奨されるに至った(逆に戦争が激化した1937年以降朝鮮語が義務教育から外され、1942年以降は教育カリキュラムそのものから外されたが、日本語教育が既に浸透していた事もあって大きな騒ぎにはならなかった。当時としてはそれより遙かに「日本語を覚えないと出世できない」事の方が重要だったのである)。こうして見る様に当時の日本人が、いかに朝鮮半島住民の反日感情を刺激しない様に気を遣っていたかは明白で、だから「(朝鮮半島住民に反日蜂起の口実を与えて全てを台無しにする様な)あからさまな掠奪や横領は原則として避けただろう」と、考える訳である。 当然、「黒字達成」後は話は変わってくる。 もし万が一、土下座してでも日本政府から補援金を引き出し続けないといけない惨めさからも、資本誘致の為に本土企業の視線を絶えず意識し続ける緊張感からも解放されていたら、それまで耐え抜いてきた朝鮮半島はどうなっていただろう? 万歳を叫び交わし、お互い涙を流しながら抱き合った後でどうなっていただろう? 韓国人側もその場面が想像出来る様になってやっと「第一ラウンド」が始まる。最近、そんな風に思えてならない。
by 699yabuhebi
| 2006-12-23 13:21
| 近現代史
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