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【資料】新羅と百済は倭国の属国【隋書 倭国伝】 新羅と百済は皆、倭国を大国として、珍しい文物が多いとし、恐れ敬い、通使を往来させている。 隋書とは中国の正史です。隋帝国(581年 - 619年)を扱った書物です。 「新羅と百済は倭国を大国とみなし、恐れ敬っていた。」ということが中国の歴史書に明記されています。 ------------------------------------------------------------- 【広開土王碑】 そもそも新羅・百残(百済)は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。 百済と新羅は高句麗の属国であったが、日本が高句麗と戦争をして勝利した。日本が百済と新羅を属国にした。と明記してあります。 -------------------------------------------------------------- 【宋書 倭国伝】 順帝昇明二年(478年)、遣使が上表して曰く「封国は残念ながら遠く、藩を外に作り、昔より祖先は自ら甲冑を着け、山川を跋渉し、安らかに暮らす暇なし。東に毛人を征すること五十五国、西に衆夷を服すること六十六国、(海を)渡り海北を平定すること九十五国。王道は安泰に調和し、国土を拡げ、京畿を遠く離れる。累代に亘って朝廷を尊び、歳を誤らず。臣は下愚といえども、忝くも後裔を先に残し、統べる所を率いて駆け、崇め帰すこと天を極め、道を百済に直行し、船舶を装備する。然るに高句麗は非道にも併呑を欲して謀り、辺境を略奪し隷属させ、(南朝宋の)劉氏を尊重して已まず、(そのために)いつも延滞させられ、(航行の)良風を失する。道を進むといえども、あるいは通じ、あるいは不通。臣の亡き済は、仇敵が天路を塞ぐことを実に憤り、百万の弦を鳴らして訴え、正義の声に感激し、まさに大挙せんと欲するも、突然に父兄が亡くなり、垂成の功をして一簣(モッコ一杯分)も獲れず。諒闇(一年の服喪)に在り、軍装の兵を動かさず、ここに休息するを以て未だ戦勝を得られず。今に至り、甲を練り、兵を治め、父兄の志を述べんと欲し、義士と勇士、文武に功を尽くし、白刃を前に交えるも、また顧みることなし。 もし帝德の覆戴を以てこの強敵を挫き、勝って方難を鎮めるも、前功に替えることなし。密かに開府儀同三司を自ら仮称し、その余も皆、各々に仮授(して頂ければ)、以て忠節を勧める」。 詔を以て倭王武を使持節、都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に叙爵した。 宋書倭国伝には倭王を新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸を軍事的に支配する「安東大将軍」に任じたと記述してあります。 ----------------------------------------------------------- 【三国史記】 402年 新羅は倭国に王子を質に出す http://www.koreandb.net/Sam/bon/samkuk/04_030_2000277.htm 397年 百済は倭国に太子を質に出す http://www.koreandb.net/Sam/bon/samkuk/04_250_2001365.htm ---------------------------------------------------------- 好太王碑、宋書、三国史記という系統の異なる史料が「新羅と百済は倭の属国だった。」と記述しています。 【中国外交部】 ホームページ(www.fmprc.gov.cn) 「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期にその支配が朝鮮半島(韓半島)の南部にまで拡大した。」 現代の中国政府も朝鮮半島南部は日本の支配下だったという認識を示しています。朝鮮半島支配の点では、日本と中国は共通認識です。 「4世紀の朝鮮半島南部は倭国の支配下にあった。」 日本と中国の歴史学界の常識です。
by 699yabuhebi
| 2006-12-23 13:30
| 古代史
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