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韓国との歴史認識の共有は可能かを探る
by 699yabuhebi


「和寧」か「朝鮮」か

1、李氏朝鮮初代の王となった李成桂は、王位につくやすぐさま、当時誕生したばかりの明王朝に伺いを立て国号を決めて貰っている。

 この時、李成桂は、箕氏朝鮮の旧号「朝鮮」と李成桂の生地「和寧」の二つの名前を持ち出し、明の太祖の朱元璋から「朝鮮」の国号を使うことを許されている。世界史の中で様々な国が存在するが、他国に自国の国号を決めて貰った国など、後にも先にも朝鮮ただ一カ国である。
 本来ならこの一時を持って、朝鮮が中国の属国であった事を、何よりも物語っているのだが、韓国人はこれでもまだ朝鮮が中国の属国であったことを認めないのである。


2、韓国人が誇るものの中に「東方礼儀の国(邦)」とういう朝鮮を指し示す言葉がある。
 この言葉の本当の意味を知っている韓国人は少ないのだが、これは中国王朝から朝鮮へ贈られた言葉である。即ち、中華の天子へ忠実に諸侯の礼を尽くしてきた朝鮮へ中国が上記の「東方礼儀の国」という言葉を贈ったのである。
 直訳すれば「中国の属国として礼節を尽くした国」という意味なのだが、この意味を韓国人は全く理解していないのが、皮肉である。


3、中国王朝の属国における歴代朝鮮国王は、原則皇帝の臣下と見なされる。朝鮮国王は中国皇帝によって任命され、中国の朝廷は朝鮮の王妃や王太子の廃立に至るまで、その権限を振るうことが出来たのである。ちなみにこの当時、朝鮮を実質的に指揮監督していたのは、中国王朝の北洋大臣や直隷総督などである。つまり国王というのは形ばかりのものであって、決して主権国家の元首として扱われていたのではないのである。さらに朝鮮国王の中国王朝からの使節の出迎えは余りにも屈辱的である。
 満州人の使節が来ると、朝鮮国王は自ら高官を引き連れて迎恩門まで歓迎に赴いて、地面にひざまずいて使節に9回土下座をする。宴会を催し、芸を披露して接待しなければならなかった。王太子は慕華館(迎賓館)で使節に酌の礼をするのが最大の役目だった。
by 699yabuhebi | 2006-12-23 13:34 | 中世・近世史
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