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ロシアの野心(自由主義史観)
自由主義史観側の主張(A~D)
A・ロシアの脅威 (これが主張の中核です) ロシアは19世紀に極東にぐんぐん勢力を伸ばしてきた。 日本列島に対する朝鮮半島の配置は、日本に絶えず向けられた銃口の意味をもつ。 朝鮮は自前の独立した国家を持たない、ロシアの吹き抜けの通路である。 ロシアが義和団事件を口実に満州に居座った(これが日露戦争の直接の原因)ことは、陸続きに朝鮮半島に進出してくることを意味し、そうなれば日本は自国を防御する手段がない。 つまり、日露戦争はやられる前の先制攻撃で「祖国防衛戦争」である。 B・国際状況について 当時の世界は帝国主義と植民地争奪の時代 当時の国家には「文明国」になるか、その植民地になるか、二つに一つの選択しかなかった。⇒日本は「文明」のルールに従っただけ。 日英同盟は「戦略論」の面から見て最も適切であるのは次の理由による。 ・当時の日本は、自力では生き残れないため、米英というアングロサクソンと組むか、ロシアと組むかという選択肢しかなかった。(外交史家の岡崎久彦氏の論に依拠して) 親露と親英の争点は「ロシアが満州に留まって朝鮮半島に出てこないように話し合いがつく可能性があるか否か」だった。そこに、小村意見書が出され、以下の主張をした。「日露条約は、ロシアの侵略主義が到底これに満足しないから、長期的な保証にはならない。日英条約を結んだ場合、ロシアの野心を制して比較的長く平和を維持できる。」この意見が認められ、日英同盟は結ばれた。 後世の史料によると、ロシアの蔵相ウィッテは遼東半島より朝鮮半島を取るつもりだったことがわかっている。よって、小村は正しい判断をしたのだった。 C・世論と「平和論者」の捉え直し 事態を国難と受け取って、献身的働きをした人々が多くいた。日本国民の気概が健全なナショナリズムとしていかんなく発揮されたからである。 ・内村鑑三は日露戦争の際、アジア解放の理想を述べ、それを日本が引き受けると謳っている。 社会主義者幸徳秋水は、北親事変の際は実は日本軍の北京進撃を支持したのである。 与謝野晶子は、我が子が大東亜戦争に出征する際「猛く戦え」と詠んだ。 彼ら「平和論者」と言われる人々も、戦争の延長としての戦争の必要性は感じていたのであって、単純な平和論者ではないのである。彼らは国益を追求した考えであり、それは当然のことである。今日、彼らの平和論のみを強調し、「戦争=犯罪」視する態度は見直されなければいけない。 D・エピソード 日本の勝利は世界の被抑圧民族の独立運動を鼓舞した。 朝鮮に独立した国家ができることを望んで(朝鮮半島に防御帯になって 欲しいから)、政府も民間も援助した。それでも1884年の甲申事変が失敗し、福沢諭吉が「脱亜論」を書かざるを得ないような状況となった。 政府は植民地に大変な予算をつぎ込んで、本国並みの水準に引き上げようとした。 日本は日清・日露を通して、朝鮮半島を中国から、二度目にはロシアから独立させ、あるいは両国の勢力から切り離すよう努めた。もしも日本が手を出さなかったら、朝鮮は欧米かロシアの草刈場となっていただろう。 日露戦争のとき、日本は戦争法規を忠実に守り、ロシアから感謝された。 義和団事件のとき、日本は列強に繰り返し要請されたために出兵。列国の兵士は略奪・暴行の限りを尽くしたが、日本兵は殆ど乱暴しなかった。 マッカーサは、朝鮮戦争の際にトゥルーマン大統領に、「満州という本拠地を爆撃しなければ朝鮮半島を確保できない」と進言し、核兵器の使用を憂慮した大統領に解任されている。彼は満州の安全が朝鮮半島の安全に直接に結びついていると気づいたのだった。また彼は日本が戦争に突っ込まざるを得なかった理由として、「安全保障の問題だった。日本は島国で資源がない。1200万の失業者の出る恐れがあったからだ。」と発言。つまり彼は近代日本の置かれた立場を追体験したのだった。(⇒A-4の論を補強) 反自由主義史観側の主張(A~Cに対して) A⇔ ・ロシアには次の史料がある。 「もし朝鮮が自由でなくなれば我々の極東における全政略が脅かされるのだ。・・旅順からウラディオストークに至るルートは障害なくしておきたい。もし日本がこれに同意しないなら海戦・・」 ・藤岡氏らは、「国家戦略」を前提に、「時代認識」、「地政学」の見地をている。これでは最初から結論が用意されていたことになる。つまり彼らはイデオロギーにとらわれた史観で史実を一面的に捉えようとしている。 ロシアを侵略」と「植民地」支配の主体でアジアに牙をむく脅威としてだけ問題にしている。朝鮮は国として認められてさえいない。 ・日露戦争は、朝鮮の植民地化の起点となったという意味において日本の朝鮮侵略戦争であったし、戦利品として関東州・南満州の鉄道利権の獲得があったという意味において満州侵略戦争であった。 B⇔ ・親露・親英とも、要は韓国を完全に日本の支配化に置くことを目的としており、後者がそのために戦争も辞さなかったと言う点でのみの相違である。 C⇔ ・原敬の日記には以下の趣旨のことが書いてある。 「政府が七博士に露国討伐論を唱えさせたのは、ロシアを威圧し交渉を成立させるためだった、しかし意外にも開戦せざるを得ない行きがかりを作ってしまった、政府の中の主戦論を唱えるものも、国民も、真に戦争を望んではいない。」 よって、強硬論は政府が意図的に煽り立てたものであり、世論は「つくられた」開戦論に傾いた。 戦場の兵士たちの手紙の中では、天皇・国家は尊ばれていない。 民衆は政治・社会状況に対して多様に反応する。よって「素朴に国を信じ」たこと自体が研究対象であるはずだ。 文献 ①汚辱の近現代史(藤岡信勝)徳間書店 ②近現代史教育の改革(藤岡)明治図書 ③国民の油断(藤岡・西尾信勝)PHP研究所 ④教科書が教えない歴史(藤岡・自由主義史観研究会) ⑤教科書が教えない歴史4 ⑥戦後歴史学と「自由主義史観」奈良歴史研究会 ⑦「自由主義史観」の本質(井口和起)部落問題研究所 ⑧近現代史の真実は何か(藤原彰)大月書店
by 699yabuhebi
| 2006-12-24 18:39
| 近現代史
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