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韓国との歴史認識の共有は可能かを探る
by 699yabuhebi


実際に朝鮮通信使が見た日本


http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1805893
★第11回の朝鮮通信使(1763〜1764)の一員、金仁謙の旅行記「日東壮遊歌」より抜粋。

※翻訳の為、言葉を平易にしました。
※写真は1860〜1880年頃の撮影です。







大阪



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http://japanese.joins.com/transboard/upfile/osaka7.jpg

中国の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。
ソウルの繁華街の10000倍の発展と言ってよい。
北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」と言っている。







名古屋


自然の美しさ、人口の多さ、土地の豊かさ、家屋の贅沢さ・・・この旅で一番である。
中原(中国の中心地)にも無い風景だ。
朝鮮の中心地も立派であるが、名古屋に比べれば、とても寂しい。







江戸


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http://www.mid-tokyo.com/18/photos/07.html

屋敷の贅沢さ、人々の賑わい、男女の華やかさ、城郭の素晴らしさ、橋や船の立派さ・・・。
繁栄は大阪、京都より3倍は勝っている。







京都


悔しいのは、この豊かな楽園が倭 人の所有する土地であるという事だ。
「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられる事が悔しい。
この「犬と等しい倭人」を、全て掃討して、日本全体を朝鮮の国土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。








朝鮮通信使の結論 

ソウル×10000=大阪
大阪>北京
大阪×3=江戸
   ↓
ソウル×30000=江戸

江戸>大阪≒名古屋>北京>>>∞>>>ソウル
by 699yabuhebi | 2006-12-25 23:11 | 中世・近世史
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